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ザ・ドキュメント 父の国 母の国 —ある残留孤児の66年— 2009/04/29放送分

日本
配信期間:~2027年01月14日 23時59分
中国残留孤児の兵庫訴訟で原告団長を務めた初田三雄さん、66歳。 初田さんの人生は、「生命の危機」と「貧困」の連続だった。 終戦時は2歳。もちろん当時の記憶はない。 旧満州の奉天、現在の瀋陽で中国人に育てられたが、1960年代後半から始まった「文化大革命」では、日本人だという理由で迫害を受け、1972年の日中国交回復後も農村などを転々と移転した。祖国・日本への思いは強まった。 しかし、残留孤児が本格的に帰国できるようになったのは、9年後の1981年。 多くの孤児が、中年になってからだった。 政府は日本語の不自由な人々に十分な支援をせず、7割もの孤児が生活保護のもと、厳しい制約をうけながらその後生活している。 初田さんは、44歳になって日本に帰国。 その後、肉体労働を続けたが60歳でその仕事も定年となり、定年直後の収入は厚生年金の月五万円のみだった。 「働けるうちは自立したい」と、アルミ缶を拾って兵庫県伊丹市の県営住宅で妻と生活している。孤児たちはこうした帰国後の苦しみを、裁判に訴えた。 多くの残留孤児は、国の責任が認められないままであることには不満を抱きながらも、支援策を受けて生きることを選択したが、初田さんは「給付金」の申請を拒否して、まだアルミ缶を拾い続けている。 なぜ、初田さんはそこまでこだわるのか…。 初田さんの人生を知るため、今年3月、中国・瀋陽に同行した。 そこで取材班が目にしたのは、養母の墓参りすら出来なかった初田さんの深い心の傷だった。 墓に向かって初田さんは語りかける。 「お母さん、あなたは私に怒るでしょう、愚かものだと。しかし息子は今になってわかった。一番大事なのは誇りを持って生きること。恥ずかしくない生き方をすること…」 そして小さなお墓にしがみつき「小さい墓を見て申し訳なく思う」と号泣した…。 政治的には「解決した」残留孤児問題ではあるが、改めて私たちがこの問題をどう考えて、どのように帰国者に向き合うべきかを考えたい。

カンテレ「ザ・ドキュメント」2009年4月29日
キャスト
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